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真鍮誕生のなぞ



 今から約四百十年前に、庚申山広徳寺(滋賀県甲賀郡水口町)のある金成山(きんせいざん)の麓に藤左衛門という貧しい百姓が住んでいました。
 働いても働いても生計は苦しく、この上は、村を出てどこかへ行くより仕方がないと考えましたが、日頃から広徳寺の本尊である庚申尊を深く信仰していたので、庚申尊におすがりしてみようと意を決し、文禄二年正月二十三日(1593)、広徳寺にこもり、断食し日夜ひとすじに家運の隆盛を祈願しました。
 またたくうちに日は過ぎて、ついに十七日の満願の夜がきた。今は精根尽き果てて、もはやこれまでと一心不乱に祈念するうちに、ついうつら、うつらとする枕元に、卒然として七才ばかりの童子が現われ、銅に針丹(亜鉛)を混ぜる合金の法を細かに伝授された。
 藤左衛門は、このお告げに感泣し、急いで下山し、夢告のように真(しん)に鍮(い)てみれば、不思議や黄金色の光沢をした合金を得ることができたのであります。
 これが、わが国における真鍮の錬製の始まりといわれています。
 藤左衛門は、真鍮の製造を思い立ち、この山間の僻地から、慶長四年(1599)、京都に出て本格的に製造を始め、これが大いに当たって、家業が繁栄して、ついに巨万の富を積むに至り、元和二年(1616)報恩のために広徳寺の本堂を再建しました。これより、庚申山広徳寺の本尊を我国真鍮の祖社として崇敬し、各地から参拝者が訪れています。
 藤左衛門が、京都で真鍮吹きをした場所は不明でありますが、その遺骸は、京都市上京区三条寺町天性寺に葬られています。
 また、広徳寺には、作者未詳の高さ一寸七寸の藤左衛門の木像が安置されています。

  発行元(社)日本銅センター「銅ものがたり」 より